プロフィールにも書かれていますが、私は突発性難聴(感音性難聴)になり耳が不自由です。
突発性難聴と手話
20代の頃に突発性難聴を患い、耳が不自由になってしまいました。
現在、補聴器をして生活しています。
難聴という同じ悩みを持つ人に、役立つ情報も発信していきたいと思っています。
また、難聴、ろうあ者とコミュニケーションが取れるように手話を学んでいます。
もともと健聴者(普通に聞こえていた人)でしたが、難聴になり一夜にして聴覚を失ってしまいました。
今は補聴器をしていますが、聞き取れないことがたくさんあり、補聴器から入る音と、筆談と口の動き読んで会話をしています。
静かな防音の会議室なら、補聴器をつけたまま会話ができますが、うるさい場所(居酒屋など)では、聞こえず筆談をして会話をしています。
手話を本気で学ぼうと決意した理由
黒でも白でもない”灰色”な中途半端な存在であることを痛感

私はもともと普通に聞こえていた健聴者です。
それが、社会人になってしばらくした20代に、いきなり聴こえなくなったのです。
そのため、健聴者(普通の人)と同じように会話ができない(筆談などのサポートが必要)。
かといって、ろうあ者や難聴者が話す手話もできない。
「健聴者の世界(普通の会話)」「ろうあ者・難聴者の世界(手話)」のどちらにも属さない灰色のような中途半端な存在のまま、現在42才まで生きてきました。
この灰色の世界にずっといると、どうなるのか??
今までいた健聴者の友人が、私と会話が難しい+面倒くさいため、どんどん離れていき、疎遠になり、最終的に独りぼっちになってしまいます。
私はそれを痛いほど味わいました。気がついたら独りぼっちでした。
恐らく、他の中途難聴者・中途失聴者も同じ気持ちで生きてきたはずです。
中途難聴者、中途失聴者の天国と地獄の分かれ道
生きている途中で、難聴・失聴した場合、2つの分かれ道があります。
1つ目は、手話は恥ずかしいなどと理由をつけて学ばず、筆談、メールなどで乗り切って生きる生き方。(私のパターン)
2つ目は、難聴、失聴した段階で、自分自身を受け入れ、すぐに手話を学ぶ生き方。
今なら、2つ目のすぐに手話を学んだほうがいいと断言できます!
難聴のまま生きていると、今までの友人(健聴者)と疎遠になっていきます。
そして、気がつくと友達はいなくなり、独りぼっちになってしまうのです。
そうならないためにも、すぐに手話を学んでください!
手話ができるようになれば、手話ができる人と友達になり、手話で話せる、コミュニケーションを取ることができる、独りぼっちになることはありません。
今だから言えます。手話をすぐに学んでくださいと・・・
私は長々と回り道をしてしまいましたが、これから本気で手話を学んで挽回するつもりです。
まとめ
誰でも人生の途中で難聴になったり、失聴することがあると思います。
その場合、耳が不自由になってしまった自分自身を受け入れられないと思いますが、
早く受け入れ、手話を学ぶべきです。
そうしないと、後々で今の私のように激しく後悔するはずです。
この記事を読んでいる中途難聴者、中途失聴者の方は、私のようになって欲しくないです。
次回の記事で、中途難聴者、中途失聴者が手話を学ぶにはどうしたらいいのかを書きます。
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